【大賞作品】
君がくれた光 野沢顕子(東京都)
ママが「耳下腺癌」という聞きなれない病気で手術を受けたのは、君がまだ五歳の頃だったね。
癌と一緒に、耳と、顔の神経を切ったその日から、ママの耳は一つになり、顔の半分は動かなくなった。
手術後一カ月が過ぎても、ママは退院するのが怖かった。杖を突かなきゃ歩けない、こんな体で君を守れる? 私が母親でごめんね……。
でも、君は「ママ!」と、抱きついてくれたね。
「ママ、早く帰ろう!」
君は、ひとかけらの疑問もなく私を信頼してくれる君のままだった。君にとって私は、ちゃんと「ママ」だった。
それに気づいた時、ママの心に光が射したんだ。見た目や出来ることが変わっても、君の母親でいたい! 私は、君の信頼に応えたいと思った。
君がくれた光に導かれて、ママは今日も生きる。できないこともあるけど胸を張って。そしてこの暖かい光で今度は君を包みたくて、毎日君を抱きしめる。
ありがとう。ママは君といられて、今日も心から幸せです!
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【準大賞作品】
出世払い 石墨玲子(山形県)
先日はありがとう。三十そこそこの身にはあまりにも大金であろう六十万円。
「『出世払い』ということでオヤジに借りてた車の修理費だけど、出世もしてないのに返すのは違反かなあ……」だなんて。
思い出しました。お前が学生のころ、雪道でスリップして車を大破させたこと。事故のショックで落ち込むお前に、何も言わずに修理費を用立ててくれたお父さん。
あのときの感謝の気持ちを律儀に持ち続けていたんだね。
お父さんが白血病に倒れ、収入も絶たれての入院生活を見兼ね、「借金返済」とか言いながら、さりげなく金銭の援助をしてくれるお前の気持ち、身に染みます。
面と向かっては何も言わないくせに、しっかり分かり合っている父と息子の関係だよね。今回も仲立ち役、しっかり務めさせてもらいました。
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【優秀賞作品(郵便事業株式会社賞)】
橋安子(福島県)
「博史ごめんなさいね。遅れてしまって。さあ、早くおっぱいを飲んで!」となき寝入りしている博史を抱きあげる。ぱっちり目を開け笑う博史、どんなにひもじかったろう。どんなに寂しかったろうと涙が溢れる。
私は生まれたばかりのあなたを一日中部屋に閉じこめ鍵をかけ置き去りにしたのです。授乳時間の許可を戴き職場と自宅を一日三往復、一年間です。頼める人がいないからとは言え、こんな酷いことのできる母親がいるでしょうか。鬼だと自分を責めました。私を待ちくたびれて泣き泣き部屋中を這い回り、頬っぺに畳のあとをつけたまま泣きじゃくっている姿に私は何度泣いたか知れません。ただ詫びました。この子を死なせはしない。しっかり育てようと誓うだけでした。
人一倍孝行息子の博史よ、ありがとう。私は八十四歳。
あといくらもない命です。ここに一人の酷い母親の子育てを告白し、「母親の詫び状」といたします。
世界一幸せな母
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【優秀賞作品(審査員特別賞)】
「地震だ!」 相原 薫(千葉県)
八月十一日早朝、静岡に帰省していた私達に激しい揺れが襲いました。
寝起きの悪い私は、訳も分からないまま、隣に眠っていたあなたの上に四つん這いになって、あなたを守ろうとしていました。
築五十年の田舎の家は、震度五でも柱はミシミシ、窓ガラスは割れるかと思う程でした。
夜が明け、父さんに「まるで母犬が小犬を体を張って守っているようだったよ」と笑われ、あなたにも「母さんて、そんなに優しかったっけ」とニヤニヤして言われましたが、一番びっくりしたのは母さん自身です。
前の晩、些細なことであなたと喧嘩して、「もう母親やめたいわ」と言って、背中合わせで眠った矢先だったから・・・・・・
これから先も、受験のこと、友達のこと、なかなか順風満帆にはいかないかもしれません。
でも、どんな揺れがあなたを襲おうと、母さんはあなたを守ります。
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【優秀賞作品】
大切な娘たちへ 町田則子(群馬県)
まだ、誰にも話した事はありませんが、ママは7年前2人に遺書を書きました。
2人が3才の時、ママは突然脳梗塞になり入院しました。容態は一向に回復せず、安静の日々が続きました。入院して4日目の朝、なぜか2人に「遺書を書いて残しておかなくては」と思い、ベットに横たわり必死で書きました。涙がとまりませんでした。
翌日、脳出血をおこし、意識不明となり手術をしました。命は助かったものの、右手足の麻痺、言語障害が残りました。その後の毎日は、辛い事ばかりでした。生きているのが、辛かった・・・・。でも、2人がいてくれたから頑張ってこられたのです。2人の笑顔が、ママの力、勇気になるのです。
生まれてきてくれて、ありがとう。誰よりも、あなたたちを愛しています。
7年前に書いた遺書は、封印してしまっておきます。生きている喜びを感じているから、そして今、幸せだから。
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【優秀賞作品】
菅野潔美(福島県)
五年前の春、あなたは私達のもとへやってきました。神様からもらった、特別な二つの手をもって。
その頃のお母さんは、あなたの小さくてかわいい手を見ながら心配ばかりしていました。「コップは持てるかな、ハサミは使えるかな」なんてね。でもあなたは、そんなお母さんの心配をよそに、少ない指を器用に使い、何でもやってみせてくれました。できない、なんて決めつけてはいけないと教えてくれたね。
お母さんが疲れていると「僕のパワーをあげる」と差し出す両手。握ると、どんどん元気になっていくよ。優しいあなたの、その手のパワーがきっと、誰かを元気にしたり、勇気をあげたりできるはずだよ。大好きな近所のおじいちゃん、おばあちゃん、そして周りにいる人達みんなを大切にしていこうね。
いろんな形があっていいんだよ。お母さんはあなたの全てが大好き。あなたも自分を好きでいてね。
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【優秀賞作品】
加藤まゆみ(静岡県)
前略、相変わらず口八丁の適当人生を歩んでいますか。此数年我が家での君の代名詞は「詐欺師」「ペテン師」「嘘つき小僧」です。弟や妹達にまでそんな風に呼ばれるなんて母として複雑です。でもこれまでの君の所行を考えたら仕方ないかも・・・。思えば五才にして保育士を唸らせた時からその才能は開花し始めていたのでしょう。その後強かに技を磨き家族は何度煮え湯を飲まされたことか。君の離婚した奥さんもそのひとり。よくもまあ親でもないのに五年も君の嘘につき合ってくれて感謝感謝です。今も週に一度は君の息子と遊びに来ますよ。子供はともかく彼女は憑き物が落ちたように明るく元気なので安心して下さい。今年は七夕に君への願いを込めて、短冊を三枚書きました。叶うといいなあ。
○決して新聞に載りませんように
○決して自分の心まで誤魔化しませんように
○私が死んだら嘘泣きをしませんように
ではまた。 最悪にして最愛の愚息へ
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【優秀賞作品】
与田久美子(長崎県)
ごめんね、和生。あなたに無断で、連絡帳と写真以外の思い出の品々を、全部処分したよ。三十年前の産着も、ランドセルも訓練用の靴さえも、母さんには宝物だったから、ほんとは手放したくなかった。
でも、IQ三十三のあなたが、母さんと同じ気持ちで過去を懐かしむとは思えない。それに、一人っ子のあなたは、いずれ障害者施設に入所するだろうけど、生活に必要ない物まで持ち込む余裕はないはず。不要品として捨てられるのなら、せめて自分の手で捨てた方が納得できる。乳がんになって以来、母さんはそう考えていた。
形あるものがなくても、あなたの優しさが残ればいい。「どこが痛いですか?」「風邪は治りましたか?」と人を思いやるから、あなたは誰とでも仲良くできる。今の優しさを忘れないでね。あなたの優しさが、一人になったあなたを守ってくれると、母さんは信じているよ。
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【優秀賞作品】
森田輝子(埼玉県)
四十三年も共に暮らしてきた順子に七十八歳の母が手紙をかきたいと思いました。折にふれ二人はよく語り合ってきましたね。私が順子を諭し、勵ますような会話が多かったかもしれません。けれどこれからは順子たち若い人に諭され勵まされる立場に変わりました。
昨今、私は壮烈な老いを感じるようになりました。体力・気力の衰えが容赦なく襲ってきます。その速度は人それぞれでしょうが誰にもやってくる老いそのものでした。物忘れ・聞き違え・くどい話し方・鈍い動作・・・・・・。みな自分にあてはまります。順子は母のそれを感じとっていることと思います。今の私の課題はその老いをしっかり受けとめて、頂いた人生をその終焉まで自分なりに誰かの役に立つような存在でありたいと願っています。順子、老いを生きるとはどんなものか、母だけでなく高齢者に目を向けてあなたの優しい暖かい心で応援してください。母の願いは「老い」からも、きっと学ぶこと多いと思います。
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【優秀賞作品】
藥丸則子(宮崎県)
庭一面にコスモスが咲き乱れて、すっかり秋の気配が深まりました。兼敏君、貴方が逝って三年。心の中にぽっかり開いた穴は埋まる事はありません。もうこの手紙は貴方の引出しに大切にしまわれる筈はないと知りながらペンを執りました。私達が就職して間もない貴方を一人、宝塚の家に残して、おばあちゃんの介護の為に宮崎へ越して来てから十七年、貴方は企業戦士に徹してとうとう四十歳という若さで体をこわし、この世から去ってしまいました。一昨年の春、家を片づけに訪れた時、貴方の鍵のかかった机の引出しにあったのは、私の時折送った手紙や葉書き、そして帰省した際に渡したお弁当代と走り書きのメモまで大切に保管してありました。
電話の声は消えるけど、文字となった言葉は永遠にのこるものですね。
本当にありがとう。引き出しの中に大切にされた手紙は、貴方の優しい想いを加えて私の心の中に生き続けるでしょう。
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