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最終更新日:2020年08月21日
建設課都市整備係

猪苗代城址と鶴峰城址(亀ヶ城公園)

亀ヶ城の城下町として発展してきた猪苗代町
猪苗代氏の築城から約八百年の歴史があります
その歴史の窓をのぞいてみませんか!

猪苗代城址と鶴峰城址


 亀ヶ城の雅称で親しまれる猪苗代城跡と鶴峰城跡は、JR猪苗代駅から北へ約1.7㎞の福島県耶麻郡猪苗代町字古城跡7150-1他に位置します。
 その立地は、磐梯山麓より猪苗代湖北岸の沖積地へ突出した赤埴火山体(古期-30万年前以降)の火山性泥流(岩屑なだれ)堆積物で構成される土町層の南北に長い馬ノ背状の細長い小丘陵を利用して築かれており、この尾根を東西に分断する掘切を境として、北に鶴峰城跡(標高555m)、南に猪苗代城跡(標高551m)が並立しています。
 城跡の周辺には、延喜式内社の磐椅(いわはし)神社(じんじゃ)や会津藩祖保科正之(ほしなまさゆき)を祀った土津(はにつ)神社(じんじゃ)があり、古くから当地方の中心を成していた地域であります。
 文献では猪苗代城跡は、奥州征伐の論功行賞によって会津四郡を与えられたとされる佐原義連の孫経連を初代とする猪苗代氏が代々居城にしたとされ、その築城年代については一般に建久2年(1191)といわれていますが、これは『会津古塁記』(文化10年-1813)など後世の文献からの引用であって確証がなく、城跡の構造や出土遺物、『示現寺文書』『白河証古文書』『塔寺八幡宮長帳』等の猪苗代氏に関する記事や『異本塔寺長帳』の修復入城の記事から、現時点では南北朝から室町期にかけて築城されたものと考えられます。
 やがて猪苗代氏は天正17年(1589)の摺上原合戦で伊達方についてこの地を去ることとなり、その後猪苗代城は、天正18年(1590)豊臣秀吉の命により会津に入部した蒲生氏郷によって近世城郭へと改修され、近世を通じて会津藩の東を守る支城として存続し、幕末の慶応4年(1868)戊辰の役で焼失するまで、当地方支配の重要拠点として機能し続けました。
 また隣接する鶴峰城跡は、文献から猪苗代氏代々の隠居城と伝えられていますが、当初は亀ヶ城の分郭として機能していたものと考えられ、その後近世初頭に猪苗代城跡が大改修を受けたのに対して手が加えられなかったため、柵列や石積虎口など戦国末期の古い段階の遺構が残されています。

旧猪苗代城.jpg


写真提供:猪苗代町本町 小林光子 氏提供
「旧猪苗代城址」「観月橋」「お城山」「大手道」

猪苗代城址の桜


 猪苗代城址は猪苗代町の桜の名所として多くの方々に親しまれています。
 猪苗代城址が桜の名所となった由来としては、明治38年(1905年)小林助治、才治父子二代を中心とした町内の有志が、私財を投じて桜やツツジを植栽し、東屋や観月橋を設けて公園として整備したことにはじまりました。
 それから107年の長い歴史の中、桜は毎年人々に喜びと安らぎを与え続けています。

亀ヶ城公園の桜.jpg
お問い合せ:建設課都市整備係 電話0242-62-2118
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