昨日夕方の猪苗代湖の様子です
3月11日(日)晴れ。午前8時40分の気温は-2度。今日は、3月11日、東日本大震災、福島原子力発電所の爆発から7年が経過しました。
当時、私は、いわき市の小学校に勤務していました。卒業式の練習を行い、全校生で体育館のワックスがけをして職員室に戻った午後2時46分、その時でした。大きな揺れを感じ、最初は、すぐおさまるだろうと高をくくっていましたが、揺れは続きました。職員室につるされているテレビ台が回り始めたのを見た時、ただ事ではないことにようやく気付きました。校舎内を走り回り、子供達と先生方に校庭に出るように呼びかけました。子ども達は、上着もきず、上履きのままで校庭の中央に集まりました。午前中は、良い天気で中学校の卒業式が行われた日でしたが、避難した子ども達に雪が舞い降りていました。寒さと恐怖で泣きじゃくる子もいました。校庭には、地割れも見られました。揺れの合間を縫って、職員が校舎内に入り、子ども達のランドセルや上着、靴などを持ち出し、保護者が迎えに来るのを待ちました。全員の子供たちが帰宅した時には、すでに辺りは暗くなっていました。私の勤務していた小学校は、三和町といういわきの中でも山の方にあったので大きな被害はありませんでしたが、海沿いの学校は津波に飲まれてしまったものもあり、いわき市はその年、すべての小学校で卒業式は行われず、4月6日の入学式・始業式まで子ども達の姿が学校に戻ってくることはありませんでした。
たくさんの命が奪われた大震災、そして、原発事故は、今も多くの人々を苦しめています。
本日、午後2時46分には、亡くなられた方々のご冥福をお祈りして黙とう捧げたいと思います。
2018/03/11 09:06
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投稿者:翁島小学校管理者
カテゴリ:
職員室より