8月14日(火)晴れ。午前6時の気温は22度。今日も暑くなりそうです。
さて、まず、和算問題3の解答です。
999羽のカラスが、999の浜で、999回鳴いたので
999×999×999となり、答えは、997,002,999回となります。(9億9700万2999回)
続いて和算問題4の解答です。
川の流れの速さ時速3kmを考えて・・・
川上の舟は、時速5km+時速3km=時速8km
川下の舟は、時速5km-時速3km=時速2km
川下の舟と川上の舟は合わせて時速10kmとなります。
100kmの長さの川を時速10kmで進むと
100km÷時速10km=10時間 となります。
よって、2隻の舟が出会うのは、10時間後となります。
川上と川下から2隻の舟が同時に出発します。
舟の速さはともに時速5kmで川上と川下の間の距離は100kmです。
川が時速3kmで流れているとすると、2隻の舟が出会うのは何時間後でしょうか?
ヒントは・・・
川上の船=5+3=8km/時、川下の船=5-3=2km/時となります。
問題3
999羽のカラスが、999の浜辺で、それぞれ999回鳴きました。全部で何回鳴いたことになるでしょう。
ヒント;電卓を使うと簡単な問題です。
8月13日(月)晴れ。午前6時40分の気温は21度。自宅付近では、ミンミンゼミが盛んに鳴いています。
今日は、猪苗代町の花火大会です。野口英世博士が大きな功績を残したエクアドル共和国との国交100年を記念して子ども達が書いたメッセージが表面に張られた花火も上がる予定です。都合がつくようでしたら出かけてみてください。
さて、昨日の和算の問題の解答です。和算の問題は、6年生の算数の教科書にも出てきます。
☆ 第1問の解答です。
解答;鶴17羽、亀15匹
解説;仮にすべて鶴だとすると、足2本×32羽で64本となります。しかし、実際の足の数は94本なので94-64=30。これを鶴と亀の足の差2本で割ると15となります。なので、亀は15匹。32-15=17で、鶴は、17羽となります。
☆ 第2問の解答です。
解答;6日後
解説;Bさんが出発する時には、すでにAさんは、10km×3日で、30km先にいます。Bさんは1日15km歩き、Aさんは一日10km歩きます。Bさんは1日5km、Aさんより長く歩くわけですから、30km先を歩いているAさんにを追いつくためには、30km÷5kmで6日かかることになります。
どうでしたか、簡単に解けましたか?
4年生のヘチマの棚です。たくさん花が咲いていますが、ほとんど雄花ばかり。ようく観察して・・・ようやく雌花を見つけました。雌花は、花びらの下にふくらみがあります。
続いて。。。第2問です。
Aさんは、は毎日10km歩き、Bさんは毎日15km歩きます。
Aさんが出発して3日後にBさんが追いかけました。
Aさんに追いつくのはそれから何日後のことでしょうか?
解答は後ほど・・・・
ヒント:それぞれの速さの差はいくらでしょうか
算額について分かったところで、日本独自の数学、和算に挑戦してみましょう!! まずは、簡単な所から・・・。
鶴と亀が合わせて32頭います。それぞれの足の和は94になるとき、鶴と亀は何頭ずついるでしょうか?(鶴は足2本、亀は足4本です)
ヒント:全部鶴だと仮定すると足は何本になるでしょう。
解答はのちほど・・・
算額についてもう少し書きます。
学問の神様、菅原道真が祀られた猪苗代町の小平潟天満宮には、毎年受験シーズンになると多くの受験生が合格祈願に訪れます。
この小平潟天満宮には、前の記事に掲載した佐久間庸軒とその門人による算額が奉納されています。この神社にふさわしい奉納品だと思いませんか。(小平潟天満宮と算額については、以前も記載したことがあります。)
8月12日(日)晴れ。午前8時の気温は19度。日中は暑いですが、朝夕は随分過ごしやすくなりました。立秋が過ぎ、間違いなく季節は秋へと向かっているようです。
さて、今日は、算額について書きます。算額とは、神社やお寺に奉納した数学の絵馬や額のことです。数学の問題が解けたことを人々は神や仏に感謝し、この算額を奉納しました。中には難問や問題だけを絵馬に書いて答えなしで奉納する者も現われました。そして、その問題を見た人は、一生懸命に解答を考え、算額にしてまた奉納したのです。この風習は江戸時代中頃から始まり、現在全国に1,000近くの算額が残っています。この算額に書かれた数学は、和算と呼ばれる江戸時代に生まれた日本独自の数学です。
私が、この算額に興味を持つようになったのは、前任校である船引町の小学校に勤務していた時です。学校近くの神社には、算額が奉納されている神社が複数ありました。なぜかというと、隣接する三春町に佐久間庸軒(さくまようけん)という和算の学者がいたからです。佐久間庸軒、どんな人かというと・・・【江戸時代後期から明治時代にかけ活躍した学者で、幼い頃から父の影響を受け算学を勉強し、17歳で『当用算法(とうようさんぽう)』という本を書きました。江戸時代末期には、三春藩の藩校「明徳堂(めいとくどう)」で先生をしていました。明治時代に入り県の職員となり測量を行っていましたが、自分だけが国のために働(はたら)くより、算学を教えて多くの人が国のためになるよう、生まれた石森【旧船引町】にもどり、塾を開き、農民を中心に2,000人の弟子に教えました。(うつくしま電子事典より)】
この庸軒やその弟子たちが、地元をはじめ各地の神社やお寺に、算額を奉納していたのです。
8月11日(土)晴れ。午後2時の気温は26度。
今日は、「山の日」山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日として、平成28年(2016年)から実施されるようになりました。
翁島農園で獲れたトマトを子ども達に食べてもらおうと児童クラブを訪ねてみると、読書中でした。今日は、来ている子が少ないということでした。もうすぐお盆。お家の方も少しずつお休みになってきているようです。
8月10日(金)晴れ。午後1時40分の気温は28度。暑さが戻ってきました。台風13号が去って、今朝の猪苗代湖は穏やかでした。
8月9日(木)曇り。午後1時20分の気温は、23度。台風13号は、正午現在、いわき市の南東約40kmの地点にあり、北東に向かって進んでいると言うことです。
本校周辺は、空一面黒っぽい雲で覆われているものの、午前中からほとんど雨は降っておらず、風も一時期少し強いかなと感じる時がありましたが、現在はほとんど風のない状態です。このまま、何事もなく台風が遠ざかってくれることを祈るのみです。
今日8月9日、長崎は73回目の「原爆の日を」迎えました。長崎市の平和公園では平和記念式典が行われ、原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて黙とうが行われています。昭和20年(1945年)8月6日に広島市に原子爆弾が落とされ、14万人の尊い命が失われました。その3日後、昭和20年(1945年)8月9日には、長崎市に原子爆弾が落とされ、約7万人の尊い命が失われました。長崎市に落とされた原子爆弾は、プルトニウムを原料とする原子爆弾で、広島市に落とされたウランを原料とする原子爆弾の1.5倍の破壊力を持つものだったそうです。それにも関わらず、長崎市の被害が広島市と比べると少なくて済んだのは、長崎市の地形によるものだとされています。山が多い長崎市は、その山が原子爆弾の熱線や衝撃波、そして爆風などを防いでくれたようですが、それでも大きな被害であったことに変わりありません。
原爆の被害に遭った人々はどんなに苦しかっただろう、大切な人を失った人はどんな思いだったのだろう、原爆に遭う前にはどんな夢をもって毎日を生きていたのだろう、そして、それらを一瞬にして奪っていった原爆というもの、戦争というものについて考えさせられます。
長崎の平和公園には、平和の泉があります。原爆で体内が焼けただれた被爆者は 「 水を ・・水を・・・ 」 とうめき叫びながら死んでいったそうです。その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、あわせて世界平和を祈るため、この平和の泉は建設されました。そして、そこにある石碑には、次のような手記が刻まれています。
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のどが乾いてたまりませんでした
水には あぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
― あの日のある少女の手記から
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わずか、73年前にあった本当の出来事なのです・・・・。