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福島県耶麻郡猪苗代町立猪苗代小学校ホームページ

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青少年の主張猪苗代町大会

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青少年の主張猪苗代町大会

 7月14日(土)猪苗代町体験交流館(学びいな)において「青少年メッセージ2018 第31回青少年の主張猪苗代町大会」が行われました。本校からも6年生の代表児童が参加をし、立派な発表をしてきました。各小学校代表6名、各中学校代表3名、高校代表2名が参加する中、堂々と発表をし、小学生の部で見事「最優秀賞」をいただきました。

『「僕の一番の故郷、猪苗代町」
 「ぼくは、猪苗代町が大好きです。」
 今のぼくは、胸をはって堂々とこの言葉が言えます。それは、この猪苗代町が、ぼくたち家族を守ってくれて、いろんなことを教えてくれた町だからです。
 あの東日本大震災。ぼくたち家族は郡山に住んでいました。しかし、住んでいたその地区は、郡山市の中でも「放射線ホットスポット」と言われた場所でした。ぼくたちは、一時新潟に避難し、そしてこの猪苗代町に住むことを決めました。
 ぼくたちが紹介された家は、元スポーツ店だったボロボロの建物でした。何年も手つかずの建物は、窓ガラスが割れていて、蛇も出てくるようなものでした。当然お風呂もなく、遠くの温泉まで毎日通っていました。ぼくたち家族は、知り合いもなく不安な毎日でした。でも、そんな時に助けてくださったのが、地域の人たちでした。家のリフォームには、地元の工務店の方や司法書士の方が応援してくれました。隣の方は、地区で何かがある度に、ぼくたちをみんなに紹介してくれました。ぼくが休みの日に両親がいないときは、向かいの喫茶店の方が食事を作ってくれました。ぼくが今もお世話になっている剣道の先生には、剣道の剣さばきだけでなく、人間として大事なことも教えていただきました。そして何より、磐梯山を始めとする豊かな自然がぼくたちの不安な気持ちを消してくれました。
 ぼくが中学生になると同時に郡山にもどることを決めていた家族にとって、今年が猪苗代町での最後の一年です。それもあって、ぼくは母と
「何か猪苗代町に恩返しができないかなあ。」
と毎日のように話していました。そこで、ぼくと母は、休みになると猪苗代のあちこちに探検に出かけました。そうです。恩返しの材料探しです。
ある日、猪苗代湖畔に「小平潟天満宮」というものがあると聞き、行ってみました。すると、ほとんど人影もなく、おばあさんがたった一人で草むしりをしていた、寂しい場所でした。
母は、
「天満宮って京都や福岡にもあって、日本三大天神という説もあるけど、何で こんなに人いないの。」
と不思議そうに言っていました。
「お母さん、それじゃ、この天満宮のことを町の人やよその人に教えたら、人がいっぱい来て、猪苗代がよくなるんじゃない。」
と言うと
「ああ、それいい。」
とはしゃぎはじめました。
 それからのぼくと母は、どんな方法で天満宮のことを伝えればいいか必死になって考えました。そんな時、母はPTAの六学年委員長になってしまいました。毎日のように、
「あああ、学年行事どうしよう。」
と悩んでいる母にぼくが、
「小平潟天満宮で何かやっちゃおうよ。」
と言うと、
「おお、それいいかも。みんなに小平潟天満宮のこと教えちゃうか、クイズか何かで。」
と急に張りきりだし、
「紙芝居作るから、協力してね。」
とまで言い出しました。
 まず、学年の保護者や子供たちに小平潟天満宮のことを知ってもらえば、そこから広がっていき、より多くの人に知ってもらえるのではと考えました。
 今、ぼくと母は「恩返し」という思いをこめて紙芝居やクイズを作っています。作ったものを学年の人や地域の人に伝えることができればいいなあと思っています。
 ぼくは今年度いっぱいでこの町を離れますが、ぼくにとってこの町は郡山の次の二番目の故郷ではありません。一番の故郷です。だからもう一度胸を張って言います。
「ぼくは猪苗代町が大好きです。」』